最期の夜(2)
26日(土)に葬儀も済ませて、四十九日や納骨の準備もほぼ出来ているのに、今更母が亡くなった時のことを書くのもなんだが、前回途中で止めたようになっているので続きを書いてみようと思う。
人の死をあんなにまじかに見たのも初めてだし、肉親との別れを簡単に忘れたくないような気がしてね。
電話は兄からだった。
詳細は覚えてないが、内容はこういう事だった。
『母ちゃんがもうダメみたいだ。間に合わんかもしれんが、早く来い』
携帯の時間を見ると、午前1時を回っていた。後から計算すると多分5分は過ぎていたんだと思う。
前回の記事で、病院のエレベーターが4階に上がった所で男性の看護師が待っていたことを書いたが、今となってはあの看護師の登場は(前夜の事ではなく)この深夜の時の事だったかも知れないと思っている。ほんの数日前の事なのに人間の記憶って曖昧だ。似たような状況が重なったせいだろうか。
病室の母は身体につながれていたチューブ類が一本、二本と外されているところだった。廊下からもベッドの上の顔が見えたが、既に亡骸(なきがら)と呼ぶしかない様子だった。口を開けていたが呼吸をしている気配がなかったのだ。
不思議な事に例のモニターは脈拍数を50とか60とか表示していて、人の身体は、呼吸はしていなくとも電気信号は心臓の鼓動を伝えてくるらしい。
時計を見ると1時21分くらい。死亡推定時刻は1時15分と記録されていたので、既に6分経っている事になる。母の顔に触れてみるとまだ温かったのを覚えている。
兄はすぐそばに居ながら臨終を見届けなかった事を僕に何度か話しかけてきた。
医師と看護師が母のベッドの横で話しているのは分かったが、冷静な口調だったので、そういう状況だと思わなかったようだ。
姉はどうしていたんだろう。彼女とも話はしたのに、その時の状況の件は忘れてしまっている。ま、今更ではあるのだが。
お坊さんのような佇まいの看護師さんが母の身体を清めてくれている間、兄たちは葬儀屋さんに連絡をしていた。
葬儀屋さんの到着は午前3時。
霊安室で母と二人きりになる時間が10分くらいあったろうか、映画やドラマで見るよりも小さな部屋だった。
看護師さんやお医者様が線香をあげていたが、今思えば僕らもあげるべきだったんだろうか? 兄弟の誰もしなかったな。
実家も病院も葬斎場も全て車で5~10分で行ける小さな田舎町。
97歳の母の姉弟は全員お墓に入っているし、仲良くしていたご近所さん達もほぼ故人となられているので、母の葬儀は家族葬となった。
葬儀屋さんとの打ち合わせが済んだ後、母の亡骸の傍で寄り添うように眠っていた姉の姿が忘れられない。
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コメント
読ませてもらいました。
ご長命でいらしたのねぇ、お母さま。
ごくろうさまでございました。合掌。
時を追って事実だけを淡々と記してらして、
ふと川本三郎さんの文体を彷彿としました。
投稿: vivajiji | 2016年4月 5日 (火) 14時23分
コメント、ありがとうございます。
まっことプライベートな事なんですが、我が人生の備忘録として書きました。
「テアトル十瑠」で書いてきた経験が生かせたような気がしますね。
>ご長命でいらしたのねぇ
親父も今年96歳だし、女房のお祖母ちゃんは享年100歳ですからね。
彼らより贅沢をしてきた僕らは、そんなには生きれないかも。
>ふと川本三郎さんの文体を・・
嬉しいです。
映画に関するノンフィクションを2冊くらいしか読んだことないですが、『アカデミー賞 オスカーをめぐる26のエピソード』というのは映画ブログに書いたくらいですから面白く読んだんでしょう。数年前に話題になった『マイ・バック・ページ』も是非とも読まねばなりませんな。
投稿: 十瑠 | 2016年4月 5日 (火) 21時38分