« 花粉症 | トップページ | 最期の夜(2) »

2016年3月28日 (月)

最期の夜(1)

 兄から、母の容態が悪くなったと電話が入ったのは24日(木)の午後3時頃だった。100ccまで下がったら危ないと言われた尿の量が殆ど無くなり血も交じりだしたからだ。医者からは利尿剤の使用について問われたが兄は断った。この期に及んでの延命措置は母の苦しみを長引かせるだけ。これは以前から決めていた事だった。
 仕事の約束もあり、なんとか夜までには行きたいと思いつつ喪服や数日分の宿泊の荷物をバッグに詰め込みながら時間を過ごした。
 家を出たのは夜の7時半過ぎだった。都市高速に上がってみると、運転席からは満丸い月が正面に見えた。それは時に右側の車窓に移動したり、また正面に見えたり、まるで僕を見守っているように感じた。

 9時過ぎに病院の前に着いた。見慣れた兄の車、姉の車が止まっていた。
 風除室の灯りは消えたままで、入口の自動ドアも閉まっていたが、合わせ目に指を入れると開けることが出来た。
 薄暗い廊下を赤い線に沿って歩く。赤い線の先にはエレベーター。見慣れた廊下だが、こんなに暗いのは初めてだった。
 4階に上がると、僕が来るだろう事を予測していたように若い男性の看護師が会釈をしてきた。いつもの病室に向かったが、廊下からも其処が空っぽであることが分かった。看護師が移動先の病室に案内してくれた。

 開け放たれた入口から姉と姉の旦那さんがベッドの横に立っているのが見えた。
 酸素マスクをした母は大きく口を開けて苦しそうだった。舌も硬直しているように見えた。姉が僕が来たことを母に伝えていた。
 ドラマのように思わず泣きながらとりすがる、なんて事にならなかったのは、認知症で会話もできない状態が長く続いて、自然と母の存在についての喪失感が形成されていたからかもしれない。
 姉は母の白髪頭を擦ったり、頬を撫でたりしていた。同じようにやろうとしたが、自分の掌が冷たいのに気づいて、マスクを外して息を吹きかけた。それはもどかしい位に冷たいままだった。布団をめくって二の腕を擦ってみた。パジャマから肘の先やその先の点滴の針が付いた手の甲が見えたが、今にも破れそうに腫れていた。
 ベッドの横には血圧や脈拍の計測モニターがピッ、ピッと音をたてながら働いていた。

 女房にメールを打っていると、兄がやって来た。病院の前のコンビニに行って空腹を紛らわせたらしい。
 今晩は、兄と姉が病院に泊まる予定だと言った。介添えのベッドは一つだったが、姉が椅子を並べてでも一緒に居ると言ったらしい。
 看護師にモニターの音を小さく出来ないかと兄が言った。母にその意味が分かるわけもないと思っても、どこか事務的なその音が気になったのだろう。まるでお坊さんのような佇まいの背の高い看護師さんが対応してくれて、少しだけ機械音は小さくなった。
 兄も姉と同じように母の身体を擦っていた。ようやく温まって来た掌で僕も母の顔を触ってみた。温かかった。
 突然母が大きく口を開けた時があったが、あれは欠伸をしているんだと兄が言った。

 仕事を終えた姉の息子もやって来た。僕の娘の4つ下、息子の4歳年上の甥っ子だ。ジジババと同じ町に暮らしているので、赤ん坊のころから祖母ちゃんに見守られていたはず。ベッドの横でジッと祖母ちゃんの顔を見ていたのを今思い出す。

 夜中の11時を過ぎた頃に、一度実家に帰ることにした。甥っ子と義兄も居たが、彼らは翌日も仕事のはずなので、帰宅を促す意味もあった。
 義兄は息子の車で帰った。帰りの方向は途中まで同じだった。

 古ぼけた家に一人帰り、少しぼんやりとした後、熱いシャワーを浴びた。前の夜に兄が使ったベッドを整えたが、直ぐには入らずに、買ってきたペットボトルの水を電気ポットで沸かして炬燵で飲んだ。テーブルの上には、介護施設の部屋に飾ってあった母の写真が何枚か置いてあった。

 お布団に入って30分も経ったろうか、枕元に置いていた携帯が鳴った。
 

|

« 花粉症 | トップページ | 最期の夜(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/82088/63406274

この記事へのトラックバック一覧です: 最期の夜(1):

« 花粉症 | トップページ | 最期の夜(2) »