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2013年2月17日 (日)

財津和夫

 先日の夜のNHKテレビで、財津和夫の青春時代を振り返る本人出演の番組を偶然見た。司会はガレッジセールの二人と女子アナウンサー。どうやらこれはNHK福岡製作の番組らしい。

 番組内では、ガレッジの川田と女子アナと財津の三人が福岡市内の、財津ゆかりの場所を訪れるエピソードがメインに流され、見覚えのある風景、すぐ近くなのに見たことのない風景が出てきた。
 財津が東区の名島の出身であったこと、高校は県立香椎高校、そして大学は西新の西南学院大学だったことなどが当地の映像と共にを紹介された。
 生まれたのは1948年。昭和で言えば23年だ。家の姉貴の一つ上だったんだ。

 高校時代に、箱崎宮から借りていた国宝の、元寇の時代に蒙古軍が置き忘れたといわれる弓を壊して、宮司に謝りに行ったエピソードが紹介され、あの弓が今はどうなったかと箱崎宮を尋ねたら、実はお弓は国宝ではなかったというオチまであった。国宝というのは当時の先生の勘違いで、要するに“国宝級”だったということ。弓は現在も保管され、財津は懐かしの再会。国宝ではなかったという話に、複雑な思いだったらしい。

 西南学院大学のキャンパス、天神の伝説の喫茶店「照和(しょうわ)」も紹介された。

 結局、財津は大学を中退して仲間と共に東京に出て行くわけだが、その思いを決行するきっかけになったのが、たまたま乗ったタクシーの運転手さんの言葉だったらしい。

<タクシーに乗ったら その運転手さんが 僕の持ってたギターケースを見て 「ああ君も何かやってんの」
「ええ、やってるんですけど」 「僕もやってたんだけど挫折しちゃったんだよね」
で あの 「頑張ってね」って言ってくれたんです。
で、歌を作ろうと。 歌を歌って生きていきたいという。 運転手さんの言葉を。
その言葉で決心が出来たと言うんですか、
学生やめてもいいから 東京へ行こうって決心ができたのは 運転手さんの言葉だったと思いますね。>

 そして、この歌が生まれたんだと財津は言った。


 

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2013年2月 7日 (木)

36度5分

 人間の平均体温は36度5分だと思っていたけれど、これは日本人の場合であって、体温計に赤で表示している37度というのが世界の平均と考えた方が良いそうだ。実際欧米人は日本人より1、2度高いらしい。欧米人が日本の冬でもTシャツ姿でいる光景を見かけるのはそういうことなのだ。

 で、日本人には、特に女性には平熱が35度台という人も多いが、これ実は癌のリスクが上がっているらしい。夕べの「ほんまでっかTV」で、初登場の建築環境医療評論家、亀井眞樹氏の“ほんまでっか”情報で話が上がった。

 人間は睡眠に入ると体温が0.4度下がるらしいんだが、例えば平熱が36.0だとすると、睡眠時には35.6度となる。こういう風に35度台に体温がなると、癌細胞をやっつけるといわれているNK(ナチュラルキラー)細胞は冬眠状態になるらしい。つまり働かなくなるので、癌のリスクが上がるというわけ。なるほど。
 寝る前に長風呂をして体温をあげるということも有効らしいが、やはり体温を日頃から高く保つ習慣を付けていた方がいいだろう。
 筋肉を付ける運動や呼吸法、食事など、方法は色々あるみたいなので、自分にあったやり方を見つけてみよう。

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2013年2月 6日 (水)

ファミリー・ヒストリー その後

 一昨年の第1回の「ファミリー・ヒストリー」を見て気に入って、その後も見ようと思っていたのに、なかなか見れない。どうも、以前は放送日が不定期だったんではなかろうか。今は、月曜日の夜10時からと決まっているようで、最近の「徳光和夫」、「柳家花緑」編はほぼ見た。

 「徳光和夫」編では、ルーツ探しの話、遠縁に競馬ジョッキーの福永洋一がいたというエピソードが面白かった。徳光は息子と出ていた。彼の父親が映画制作に関わっていたことも初耳だった。

 「柳家花緑」編の主役は、当然、祖父「柳家小さん(5代目)」だった。花録は小さんの長女の息子で、母親が離婚した後、実家に戻ったために、小さんには小さい頃から父親代わりになってもらっていたようだ。
 若き小さんがあの「二.二六」事件の真っ只中に身をおいた兵隊であったことも初耳だった。
 小さんの落語は好きでTVでよく見ていたが、晩年の噺はあんまり笑えなかった事も覚えている。人間国宝になったからではないと思うが。

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