岩手県宮古市
3.11、午後三時前。
ピクリともしなかった福岡で、しかもTVを見ているわけでなかった僕が東北の大地震を知ったのは、ツイッターにアクセスして、フォローしている東国原英夫のツイートが目に入ったからだ。
『今、凄い地震です。』(posted at 14:50:22)
すわ、関東大地震かと、すぐにTVをつけたら、やがて東北地方の漁港らしき映像が出てきた。そこは宮古市の漁港に取り付けてある情報カメラ。
魚市場のような片方の壁が大きく空いている鉄骨造りの建物の土間付近に、ヒタヒタと海水が上がってくる程度だったのが、ものの数分も経たない内に人間の腰くらいの高さまで浸かっていき、やがてスレート屋根の庇までも・・・。
建物の向こうは岸壁も海も境はなく、その辺りの駐車場に留めてあっただろう沢山の車が、まるで小さな子供がオモチャのミニカーをお風呂で弄ぶように、いとも軽々とあっちへこっちへと波の上を転がっていた。凄かった。
宮古市は他の三陸海岸の町と同じように過去に何度も津波の被害を受けており、田老地区の湾には津波対策として総延長2.5km、高さ10mに及ぶギネス級の巨大防潮堤が存在し、更には陸地においても同程度の防災能力を持つ防波堤があったそうである。
1960年(昭和35年)5月にチリ地震による大津波が襲来したが、この防潮堤が被害を皆無に留めたという記録があるが、今回の津波はこの防潮堤を壊し、更にはもう一つの堤も越えて来た。港湾空港技術研究所の現地調査によると、今回三陸海岸を襲った津波の高さは、15メートルから20メートルにもなったと推定されるらしい。改めて自然災害のもの凄さを感じてしまう。
森進一のヒット曲に「♪港町ブルース」という僕も好きな曲がある。港町に住む女性が去った男を想っている歌だが、歌詞の中には日本各地の港町の名前が出てくる。
「♪み~なと~ みやこ かまいし~ け~せん~ぬま~」
宮古、釜石、気仙沼。東北地方の代表的な港町として唄われた地域が、まさに今回の被災地だった。
被災地はまだ雪の降る冬のまっただ中。避難場所に居ても、寒さや滞る医療品などのせいで、すでに二桁に上る人々が亡くなっている。
ストーブがあっても、燃料となる灯油が不足しており、更には救援物資を運ぶ車用のガソリンも既に底をついた地区もあり、一刻を争う事態が継続しているらしい。
青森経由のアクセス、関東からの陸路も通じたようだが、福島原発事故の影響で、茨城から福島に上がる経路は民間の運送会社の便数が減って、物資の不足に追いつかない模様。
今夜には福島原発に送電線が繋がり、電気系統が復旧すれば、事故の鎮静化も大きく進むと思われるのだが・・・。
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