♪Pata Pata / Miriam Makeba
散歩のお供のウォークマンに60年代のヒット曲を集めたCDのコピーがあって、その中の一曲です。
ミリアム・マケバが唄って大ヒットした、「♪パタパタ」。
単純な歌詞(どんな意味かは分かりませんが)と覚えやすいメロディーの歌で、数十年ぶりでも覚えていたのですが、唄っているミリアム・マケバについては全然知らなかったので、ちょいとネットで調べてみました。
出身は南アフリカ共和国。60年代に南アの黒人歌手で世界的なヒット曲を飛ばす、それだけで尋常ではない人生を想像させますが、想像通りの波瀾万丈の人生でありました。
<ミリアム・マケバ は、1932年3月4日にヨハネスブルクで、スワジ人の母親とコサ人の父親の間に生まれた。南アフリカの人気バンド「マンハッタン・ブラザーズ(Manhattan Brothers)」の女性ボーカルとしてデビュー。1959年の全米ツアーで、その名を世界に知らしめるにいたり、アフリカ大陸を代表する伝説的な歌姫となった。
1965年にハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)との共作でグラミー賞を受賞。“ママ・アフリカ”の名前でも知られている。「♪パタ・パタ」は1967年の大ヒット曲である。
反アパルトヘイト闘争を展開していたマンデラ氏が獄中生活を送っていたころ、歌を通じてアパルトヘイト反対を訴えた。
1959年、映画『キングコング(King Kong)』のミュージカルに出演して南アフリカでの名声を確立したが、同年に反アパルトヘイトの映画『Come Back, Africa』に出演したことで、南アフリカ政府は1960年、彼女の市民権をはく奪、持ち歌の放送なども禁止した。母親の葬式に参加するための帰国も許されず、30年以上にわたる亡命生活を欧米やギニアで送った。
1969年にギニアのセク・トゥーレ大統領に招かれ、夫であり黒人運動活動家のストークリー・カーマイクルとともにギニアに移り、大統領の支援を受け、カンテット・ギネエンヌとともに演奏活動を行った。
1990年代初頭にマンデラ氏が釈放され、アパルトヘイト体制が崩壊すると、約30年ぶりに帰国を許された。
2008年11月9日、著書『死都ゴモラ(Gomorra)』をめぐってマフィアから命を狙われている作家のロベルト・サヴィアーノ氏のためにナポリ近郊のカステルボルトゥルノで開かれたコンサートに出席。30分熱唱した後に倒れ、アンコールの大合唱の中、手当を受け、病院に運ばれたが心臓発作のため間もなく死亡した。>(ウィキペディア他参照)
人となりはどうであれ、充分映画になりそうなエピソード満載の人生のような気がするんですがね。
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