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2010年9月25日 (土)

水木しげるロード

 最近は、「ゲゲゲ」ブームに乗っかろうと、ただ水木夫妻や松下奈緒ちゃんを出しさえすればイイというような視聴率狙いのTV番組が多い。夕べの「金スマ」も前半はそんな感じの二番煎じのお話ばっかりだったが、後半になって以前から少し気になっていた話題が聞けて面白かった。
 水木しげるの故郷、鳥取県境港市にあるという「水木しげるロード」の話である。

 1970年代後半から衰退が顕著になっていった駅前商店街の活性化のために、お役所でプロジェクト委員会が作られたものの、さしたる名案もなく、地元出身の著名人にも集まってもらったシンポジウムを催した所、参加していた水木しげる自ら自分の作品を生かせないかとの発言をする。
 しばらくして、役所内では水木作品のキャラクターを街路に並べる案が出、早速東京の水木に相談に行くと、著作権は無料でよいという話まで決まる。ところが、地元商店街に説明に行くと、店主らのほとんどからは反対意見が出てきた。ただでさえ人通りが少なくなった通りに妖怪の銅像など建てたら、もっと気味悪がられて人が集まらないと言うのである。NHKテレビ番組の、貸本漫画家時代に気味悪い変な漫画だと迫害を受けていたエピソードを彷彿とさせる話だが、ねばり強い役所担当者の説明により、数年がかりでこの企画は地元の賛同を得ることとなる。
 委員会の企画がスタートしたのが1989年、妖怪の銅像が設置されて「ロード」がオープンしたのが1993年。実に4年が掛かったわけである。当初、23体であった銅像も、2010年1月には134体にまでなっているそうである。

 銅像の制作には水木自らも積極的に協力し、「ロード」に出来た最初の待合所替わりのお店も水木の発案によるものだったそうだ。
 銅像が設置された’93年(平成5年)には2万人程度だった観光客も、翌年には10倍になったらしい。きっかけはオープン元年に起こった銅像の盗難事件だ。どれだったか忘れたが、確か2体だった。自分も、境港に鬼太郎らの銅像があると知ったのはこの事件のニュースをテレビで見てからだった。現在は、年間250万人もの観光客をあつめる国内有数の人気スポットらしい。特に今年は「ゲゲゲ」のおかげもあって、例年以上の盛況のようである。

 TVでは知識を有名人が競うクイズ番組も色々と放送されているが、そういうところと全く無縁の世界に生きているような水木しげるという人を見ていると、死ぬまで使いもしないだろう漢字の問題が次々と出てくるのが馬鹿らしく思えてくる。

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2010年9月15日 (水)

♪Pata Pata / Miriam Makeba

 散歩のお供のウォークマンに60年代のヒット曲を集めたCDのコピーがあって、その中の一曲です。
 ミリアム・マケバが唄って大ヒットした、「♪パタパタ」。

 単純な歌詞(どんな意味かは分かりませんが)と覚えやすいメロディーの歌で、数十年ぶりでも覚えていたのですが、唄っているミリアム・マケバについては全然知らなかったので、ちょいとネットで調べてみました。
 出身は南アフリカ共和国。60年代に南アの黒人歌手で世界的なヒット曲を飛ばす、それだけで尋常ではない人生を想像させますが、想像通りの波瀾万丈の人生でありました。

<ミリアム・マケバ は、1932年3月4日にヨハネスブルクで、スワジ人の母親とコサ人の父親の間に生まれた。南アフリカの人気バンド「マンハッタン・ブラザーズ(Manhattan Brothers)」の女性ボーカルとしてデビュー。1959年の全米ツアーで、その名を世界に知らしめるにいたり、アフリカ大陸を代表する伝説的な歌姫となった。
 1965年にハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)との共作でグラミー賞を受賞。“ママ・アフリカ”の名前でも知られている。「♪パタ・パタ」は1967年の大ヒット曲である。
 反アパルトヘイト闘争を展開していたマンデラ氏が獄中生活を送っていたころ、歌を通じてアパルトヘイト反対を訴えた。

 1959年、映画『キングコング(King Kong)』のミュージカルに出演して南アフリカでの名声を確立したが、同年に反アパルトヘイトの映画『Come Back, Africa』に出演したことで、南アフリカ政府は1960年、彼女の市民権をはく奪、持ち歌の放送なども禁止した。母親の葬式に参加するための帰国も許されず、30年以上にわたる亡命生活を欧米やギニアで送った。
 1969年にギニアのセク・トゥーレ大統領に招かれ、夫であり黒人運動活動家のストークリー・カーマイクルとともにギニアに移り、大統領の支援を受け、カンテット・ギネエンヌとともに演奏活動を行った。
 1990年代初頭にマンデラ氏が釈放され、アパルトヘイト体制が崩壊すると、約30年ぶりに帰国を許された。

 2008年11月9日、著書『死都ゴモラ(Gomorra)』をめぐってマフィアから命を狙われている作家のロベルト・サヴィアーノ氏のためにナポリ近郊のカステルボルトゥルノで開かれたコンサートに出席。30分熱唱した後に倒れ、アンコールの大合唱の中、手当を受け、病院に運ばれたが心臓発作のため間もなく死亡した。>(ウィキペディア他参照)

 人となりはどうであれ、充分映画になりそうなエピソード満載の人生のような気がするんですがね。


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2010年9月 7日 (火)

記憶の森美術館

 お昼のフジテレビ、小堺一機が司会をしている「ごきげんよう」では、オープニングの後に小さな質問コーナーがあって、今日は「記憶の森美術館」。ゲストの芸能人の心の中にある幼い頃の記憶に残る映像を絵にするというモノだ。
 昨日からのゲスト、女優の高畑敦子の絵は、東京タワーの下で少女時代の彼女が泣いているモノだった。

 小さな頃、世界は自分を中心に動いているモノだと漠然と考えていたのに、小学校の高学年の時に両親に連れられて行った東京で、その考えが崩された時の絵だそうだ。家族も周りの友達も、漠然と自分を取り巻く世界の一部だと思っていたのに、東京に来てみるとあまりの人の多さに、この世界は自分の周りだけの小さなモノではなく、自分以外のいたる所に厳然とあるんだと、つまり、ということは自分は世界の小さな一部でしかなく、おじいちゃんやおばあちゃんのようにいつかは死んでいくものだと感じた、それ故の涙だったそうだ。それはただ泣くというよりは号泣に近いものだったらしい。

 実は、自分も彼女と同じような思いをした記憶があって、ちょっと書き留めたくなったので、こうして書いている。
 僕も確か、小学校の5年生か6年生の頃で、きっかけが何だったのかは全然覚えていないんだけど、なんとなく宇宙や星やそんなことも考えていたような記憶がある。星が数万光年も離れた所に、それこそ星の数ほど有るとか、そんなことを考えている内に、高畑と同じように、自分が世界の小さな一部でしかないこと、死んでしまえば漆黒の闇すらも感じない世界にいってしまうこと、そんなことを考えて愕然とした記憶がある。彼女のように泣きはしなかったけど、少しだけ厭世的な気分にもなったかもしれない。
 あまり人に話したことはなかったけど、似たような経験をした人って、多分他にもいるんだろうなぁ。

 “そして私は、幼い私を永遠に失ってしまった” な~んてね。

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